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雑言
集中内観体験記
これは、私F.O.X.が集中内観に行って来た実際の体験記です。
既に集中内観を体験してから1年以上経過し、
ひとつめにしっかりとしたその後の経過や内観に対する見解が出てきて、
ふたつめに本当に一生ものの体験だったと実感しているので書きたいと思います。
目次
(1)そもそも内観とは?
(2)集中内観とは?
(3)集中内観前日まで
(4)始まった集中内観
(5)集中内観2〜6日目
(6)集中内観7日目(最終日)
(7)集中内観からの帰り
(8)その後の経過
(9)内観は万能か?
(1)そもそも内観とは?
内観という言葉、そもそもあまり有名では無いのではないでしょうか。
聞いた事はあっても具体的にはどういうものなのか知らない方も多いのではないでしょうか。
体験記に入る前に、まずはその説明から入りたいと思います。
ある相手に対して、「お世話になったこと」「してお返ししたこと」「迷惑をかけたこと」の3点について省みます。
それにより、事実や自分をありのままに見る事によって恒久的な幸せを得るという事に繋がっていくのが内観です。
幸福だけではありません。
うつ病などのメンタルヘルス治療、人間関係改善、自己啓発、医師やスポーツ選手のメンタルトレーニング等に主に効果があると言われています。
大概において、物事を考える時は自分目線です。
「迷惑をかけられたこと」「期待したことをしてもらえなかったこと」というマイナスの面、そして「自分がしてあげたこと(相手が喜ぶかどうか別として)」という視点です。
そういった主観を内観では「雑念」と呼びます。
相手の良い面(お世話になったこと)や自分の欠点(迷惑をかけたこと)については殆どの場合考えません。そして、どれだけお世話になってどれだけ迷惑をかけてたのに対し、自分がお返ししたことはどれだけ少なかったのか…
それを「調べる」事によって、「客観的」に自分を見る事が可能になります。
さて、ここまで見ると「幸せ」「雑念」「何にでも効く」など怪しい宗教くさいですよね。
事実、内観はもともと仏様がなんたらの宗教色が強いものでした。
神や宗教というと、それだけで拒否反応を示す人が居るのは今も昔も同じです。
それを内観創設者の吉本伊信(よしもといしん)さんが、多くの人に内観をして貰えるよう宗教色を無くし改良していったものです。内観というと大抵はこの「吉本式内観」を指します。
事実、神だの悪魔だの勧誘だの信者だの、そういった宗教みたいな事は一切ございませんでした。
本来であれば吉本伊信「先生」と呼ぶべきなのでしょうが、自著にて「明日には人殺しになってるかもしれん自分のようなやつが先生と呼ばれるのは好かん」と言っているので「さん」の敬称にて呼ばせていただきます。
さて話を内観に戻します。
なぜ客観的に自分を見つめる事によって恒久的な、絶対的な幸せを得る事ができるのでしょうか。
幸せとはなんでしょうか。お金を沢山持っていることでしょうか。社会的地位や身分がある事でしょうか。顔も知らない他人に尊敬されている事でしょうか。
しかし、モノやカネは無くなります。
失う可能性があるものを「幸せ」と位置づけている人は、それを失ったら勿論「不幸」という事になりますね。俺は対策をちゃんとしてるから失わないという物質主義かつ自信過剰の方は、心を一番におく内観などには興味無いでしょうし、誰でもいつか死ぬのに死んだらそんなものは意味の無いものだよという事に理解を示そうとしません。失わないよう、死なないよういつもびくびくしながらモノやカネを大事に抱えて生きているのです。
勿論、お金が無いと生きていけませんし、多くの幸せはお金で買える事は否定しません、そして他人を見下す優越感は心地良い事も否定しません。しかしそれは絶対的なものではありません。明日失うものかもしれません。自分は如何に悪く無くて完璧な人だったとしても、他人のせいまたは不可抗力によりそれを失う事もこの世の中ではままあります。
それに対して、心や考えは絶対的なものです。
いつ死んでも、明日死ぬとしても、1分後に死ぬとしても「幸せな人生だった」と言えるような「心」を持っている事が幸せなのです。
少なくても内観ではそう位置づけられています。
多くの人は、自分が如何に愛されている事に気が付いていません。
その愛に気付き、理解し、どれだけ自分は愛を持っていなかったのか、謙虚ではなかったのかを、内観を通して理解します。
そして「過去は変えられる」、これも内観のひとつのキーワードです。
勿論事実は変えられません。ここでいう過去を変えるというのは、酷い思い出を、愛の有る良い思い出で塗り替える事によりこれまでの自分の人生、そして未来の人生を変える事が可能となります。
まとめると、「お世話になったこと」「してお返ししたこと」「迷惑をかけたこと」の3点を調べる事によって、自分がどれだけ愛されていたかを客観的な証拠を知り、それにより自我や自立心が芽生え心が豊かになり、色々な事が好転するという事です。
(2)集中内観とは?
内観は(1)の通りですが、集中内観とはどういうものでしょうか。
内観は2種類あり、集中内観と日常内観というものがあります。
集中という言葉だけを読むと「精神集中」の意味合いと取る方も居るでしょうが、こう並べてみるとなんとなく分かりますね。短期集中での内観と、日常的に内観を行う事です。
集中内観は、内観道場(内観研究所)に約一週間泊まり込み、ずっと部屋に籠って内観をし続けます。
私の行った集中内観では、日曜13時に集合し土曜の午前中に解散という6泊7日でした。
その間、外部からの刺激を最小限に抑えるために
- 外出禁止、部屋から外に出るのもトイレ・お風呂の時など限られた時のみ
- テレビ・ラジオ・新聞などのメディアは一切禁止
- 電話(携帯電話含む)の使用も緊急時以外禁止
- 他の集中内観者との会話も一切禁止、すれ違った時も会釈や目を合わせてはいけない
となります。
集中内観中は本当に内観のみに集中する事になります。
さてここで、なぜ集中内観がメンタルに対しとても効果があるのかと言うと、分かりやすい例ではカウンセリングと比べられる事があります。
カウンセリングは1回約1時間に対し、集中内観は一日16時間×6日=96時間、つまりカウンセリング約100回分もの時間を集中的に費やす事からカウンセリング100回分の効果があるという見解を読んだ事があります。
ここでは決してカウンセリングが悪いと言っている訳では無く、これだけの時間を費やすのでそれに見合う効果が期待出来るというお話です。
集中内観は常に屏風の中で行います。
1辺が1mくらいの屏風を部屋の角に立て、その中で内観、つまり「身調べ」をします。
約1時間半に1回、内観の先生がそれぞれの方を訪問して、例の3点についてどのような事を思い出してどのような感じを受けたのかを内観者が報告します。そうしたら「次は○○について調べて下さい」と次のお題をだされ、次の訪問まで内観を続ける、の繰り返しです。
食事もその屏風の中で取ります。食事中も時間を無駄にしないよう、過去の内観者の録音テープがスピーカーから流れてそれを聞きながら食事を取るといった形になります。
集中内観はまず母親について例の3点、「していただいたこと、してお返ししたこと、迷惑をかけたこと」を調べます。それから父親に対して調べます。
3歳から小学校入学まで、小学校低学年、高学年、中学生、高校生、その後の学生時代までは1回につき3年区切りで調べます。独り立ちしてからは5年区切りで調べます。
大体の方は母親から無償の愛を一身に受け育っています。どれだけ愛情を注がれてきたのかというのが大きなテーマであり調べやすい事なので、まずは母親です。
親に恩が無い人は居ないという前提があってなので、集中内観を始める前にどのような目的でここへ来てどのような家族構成で、母親や父親の印象はどうだという事を聞かれます。そこで酷い虐待などで嫌な思い出ばかりという事があったり、母親は記憶が無いうちに亡くなった等でしたら対象は他に移るようです。
どれだけ愛情を注がれて来たか、それに対して自分はどれだけ恩返し出来てなかったのかを知る事が内観で大きな意味を持つので、無償の愛を注がれて筈の母親・父親は調べやすいのです。
逆に自分が嫌いな相手から「愛情を注がれてきた」のを調べるのは容易ではありません。自分がされた嫌な思い出、つまり前述した「雑念」ばかりが頭を過ってしまいます。
とても敬虔な優良内観者でもそれは難しいようです。
さてそれに対して日常内観とは、その集中内観で身に着けた内観法を、家や電車・バスで日常的に行う事です。
誰に対していつの時代を調べるというお題が自由なので、例えば集中内観ではお題に出ない「恩師」「お世話になった上司」「ありがとうと素直に言えるお客様」等より多くの人に対して内観をする事ができます。
ただし内観の先生に報告する義務が無いので内観を途中でやめてしまったり、与えられるお題も無いので誰について調べれば良いのかのノウハウも無い、もし「調べる3点」から大きく外れたりしていたらそれを正す人も居ない、また人から話しかけられて集中できなかったり、テレビや食べ物等の好きな事の誘惑に負けて内観に集中出来ないなどがあり、内観がどのようなものなのかを集中内観で経験した人でないと日常内観は難しいとされます。
(3)集中内観前日まで
私F.O.X.はとある理由で精神科に通院していました。
会社で色々あり、「ストレス性うつ病」との診断でした。
他人にはなかなか言い難い事ですがここではきちんと話した方が良いと思いましたので…愚痴にならないよう気を付けながら、端的に事実のみを書きたいと思います。
そこから人間不信、そして対人恐怖症になり引き籠りになりました。
買い物は専ら深夜というか未明、3時〜4時のあまり人の居ない時間帯に24時間営業スーパーに。
自宅作業のアルバイトをそのうち3年ほどやっていて状態が良くなるのを待ちながら食いつないでましたが、賃貸マンションの契約が切れるのを機に実家へ帰る事になり、実家に帰ったら食いつなぐ金の必要性も無くなったのでそれに甘えて、程無く自宅作業アルバイトも辞めてしまいました。
最初の通院から4年半、状態は改善に向かわずにずっと引き籠ってました。
引き籠るだけではなく、うつ病から常に「死にたい」という気持ちで一杯。
通った精神科は3件。
最初は東京・新橋の某精神科、実家に帰ってからは仙台の某精神科に通っていましたがそこの先生が急死してしまって(というとどこに行っていたのか分かる方も居ると思いますが)、その後に大崎市の某精神科。
そこの最後、3件目の精神科に半年通い、先生(精神科のドクター)に自分の状態や考えをいつものようにお話、報告。
どのような事を言ったのか具体的には覚えていませんが、人を許せなくて常にイライラして自傷願望や他傷願望がある、そして自傷他傷問わずそれを実際に行っているという事を言ったと思います。
「あなたのような人に向いていると思うものがあります」
と付箋紙に『内観』と書き、先生は渡してくれました。
「ネットなどで調べてみて、興味があれば。ただここ(病院)では出来ない」と。
内観なんて初耳なので、全くわかりません。私は帰ってすぐに調べました。キーワード「内観」でググりました。
内観の本や集中内観などがすぐに見つかりましたが、内観そのものや内観のそもそも論よりも、特に調べたのはうつ病・自殺願望・ストレスに対する内観の効果。
その中でも特に目を引いたのが集中内観でした。自己啓発の本などは読んでも心に響かない物が多かったので自分に合わないと思い、実際に「身を持って体験できる」という所に惹かれたのです。
内観研修所のHPには体験談で自分のような症状の方が良くなった喜びの声などがありましたが、勿論すぐに鵜呑みにはできません。そうやって困って藁にもすがりたい人を食い物にする悪い人たちも世の中には沢山居るのですから…普段ならそこで調べるのを止めていた事でしょう。
が、内観を紹介してくれたのは他ならぬ信頼する精神科の先生。既に半年以上の付き合いで自分を良く理解してくれているし、あのような人が詐欺まがいの変なものを紹介するわけがありません。
そう考えると、これは本物では無いか、本当に自分に効果があるのではないか…と思えて来てもっと内観を知るというよりも、既に集中内観を受ける事を前提に調べ始めました。
どこで受ける事が出来て、料金は、期間は、予約は…
内観研修所ではなく個人のブログで、集中内観体験談を載せているHPも一つ見つけました。詳しい事は載っていなかったのですが「受けた後はこれまでにない本当に良い気分でした!」というのが印象的だったのを覚えてます。あぁ、やはり変な所ではないのだなと。
私は受ける事に決めました。
場所は東京の白金台内観研修所。
仙台にあれば勿論良かったのですが、近くに無かったからです。
他の県にもあった気がするのですが、東京に住んでいた事があるF.O.X.にとっては白金台ならば交通機関で迷う事無く行けるからです。
両親にも話をしました。勿論、怪しそうだけど先生が言うならちゃんとした所なのだろうとOKしてくれて、自分で出すつもりだった内観の費用も出していただける事になりました。
嬉しかったのと同時に、光熱費・食費はお世話になっていてもお小遣いを1円たり貰っていない私は、両親が自分の為にお金を出してくれるのは何かとても悪かった気がしました。
次の精神科の診療の時、集中内観を受けたいと先生にお話をすると
「ちゃんと調べてくれて嬉しいです、内観と言えば集中内観を指しますからね。そして自分で受ける気にならないと効果が無いので、受ける気になってくれて良かったです」
と言って貰えました。そこまで考えて、最初から「集中内観研修を受けたら? 内観とは云々」と言うのではなく、「内観」というキーワードの紙だけ渡して興味があれば進んで受けるだろう、『言われたから受ける』ようなら効果が薄いから…とまで先読みしていたのだろうと思うと尊敬します。
「この集中内観が、良くなる最後のチャンスだと思って行ってきます」
「あなたの場合はまだ薬で良くなる方法もありますから、最後のチャンスなんてそんなに気負わずに行って来て下さい、気を付けて」
実際、私には最後のチャンスのように感じていました。
会社の休職期間の3ヶ月〜6ヶ月で良くなると思っていたのが4年以上も続くなんて。その間、投薬治療を続けて既に向精神薬は法定量限界。医師の裁量で増やす事は出来るが、薬漬けにもなりたくない…本当に100%の確率で快方に向かうなら良いのですが、どうなるかわかならい賭けで薬漬けは…
そして、カウンセリングはうつ病に効果が無い、それどころか逆効果という話は良くあります。むしろ良くなったという話は全く聞いた事がありません。私みたいな人をごまんと見ているであろう精神科の先生も「カウンセリングで良くなった人は居ないよ」と言っていました。
そんな訳で、集中内観に行けるのはラストチャンスのように思えました。
この報告が最終判断でした。最初に勧められた先生にもお墨付きを貰い、帰ってきてすぐに白金台内観研修所に予約の電話を入れました。
知り合い以外との電話などいつ以来だったでしょう…かけるのにとても緊張し、聞きたい事をメモし、言う事を何度も練習しました。
内観研修は日曜からの1週間。その時は12月の3週で、4週の日曜日〜年明けの土曜日という年跨ぎも集中内観はやってるらしいという事はHPから分かっていたのですが、年末年始は家で過ごしたい…という気持ちがなんとなく有り、年明けの日曜日から予約を入れる事にしました。
気になるのは、HPに書いてあった「年末年始、ゴールデンウイーク、お盆の週等のハイシーズンは混み合いますので相部屋になることがあります」の一文です。基本的には一人一部屋の個室なのですが、人数によっては相部屋になると…
人間嫌いの私が相部屋で、集中してそして落ち着いて1週間も過ごせる筈がありません。そこは聞いておきました。「相部屋の可能性もあると書いてあったのですが…」と。
答えは「大丈夫ですよ」との事でした。
ではお願いしますと予約を入れ、その時は何の目的での来所なのかと名前、の2点しか聞かれませんでした。ホテルやレストランの予約でも連絡先電話番号くらい聞くだろうに…あ、でも病院の初診は名前だけだよな…と考えたり。
内観の予約をしたので、次にバスの予約も。
仙台⇔東京で一番安い交通手段はツアーバスです。
新幹線は片道1万円以上、高速バスも8千円とかする中で、ツアーバスならば3千円程度で行けるのです。
平日や運営会社によっては2千円台のもあります。
色々なツアーバスを何度も利用して、これが最高と思いF.O.X.が使っているのは「旅の散策ツアーズ」です。1列に4席のバスは、もし隣の人が居なければ2席使えるので良いのですが、もし隣が居ると腕を組むとぶつかる程に窮屈です、電車の席と同じです。6時間もそんな窮屈な体勢で居るのは凄く疲れます。それに比べ「旅の散策ツアーズ」のバスは1列3席で、しかもシートが新幹線のグリーン車のように快適なのです。そしてオマケとして漫画喫茶の割引チケットも貰えます。他より運賃が500円ほど高めですが、6時間の窮屈さを500円で解消できるなら安いものでしょう。さらに、他のツアーバスより運ちゃんの態度が凄く良いです。タクシーの運転手は無愛想で態度が悪いと相場が決まっていて、タクシー乗る度に運転手とケンカを繰り返した事があって、それからタクシーはどんなに遠くても絶対に使わない事に決めています。それに比べて、ホテルマン並みの対応を見せる「旅の散策ツアーズ」の運転手。一度利用したらやみつきです。「楽天トラベル」経由で申し込めばオフィシャルサイト経由や電話で申し込むよりも安く済み、さらにポイントバックがあるのでいつもそうしています。
あ、これ、今流行りのステマではありません(笑)
むしろステマならどんなにいいでしょうか…これ書いても、どんなに褒めちぎって利用者が増えても1銭もF.O.X.には入ってきません、むしろこれを見た人が「よし利用してみようか」となるとF.O.X.自身の予約が取り辛くなります(笑)
さて、バスの予約をしたのでこれで後戻りはできなくなりました。
が、前述の通り最後のチャンスかつ最高のチャンスだと思っていたので、むしろ浮き浮きしていたくらいでした。集中内観が始まる日が待ち遠しかったです。
あぁ、帰ってきたらうつ病が治ってたらいいな…という期待や、どんな所なんだろう…という不安。
申し込んだ以上、そしてやると決めた以上、これから悪い情報が入ってきて不安になるのも嫌なので、これ以上内観に関する情報収集は止めて内観研修に必要な物だけ揃えておきました。
必要なものと言っても、枕カバー代わりのバスタオル、シーツ、洗面用具などの基本的なもののみ。
一週間分の着替えでバッグがパンパンになったので、持参品に「帰りに雨が降った時のための傘」とありましたが折り畳み傘は持っていかない事に。F.O.X.は外出時(引き籠る前の会社勤めの時)、多少の雨でも、そしていかにも降りそうでも「今現在降っていなければ帰りに降る事はほぼ確実でも傘は持っていかないという勇者」なので傘なんて元から持って行く気も無かったのですが。
そして集中内観研修前夜。
4年半も引き籠ってすっかり昼夜逆転したF.O.X.は、前日もなかなか寝付けなくて「バスが6時間もあるんだからそこで寝ればいいや」と軽く考えていました。
(4)始まった集中内観
仙台駅東口の代ゼミ前、朝7:30発のバスに乗ったF.O.X.。
外に出る度に他人とトラブルを起こしたり、心無い一部の人に大きなストレスを受けたりしていたのですが、何事も無くバスに乗れた事にホッと一安心していました。
しかし、前日あまり眠れなかったのにバスでは殆ど眠れず。やはりゴロっと横になっていないと、仮眠程度にしか眠れない。寝台特急みたいにベッド付きツアーバスというのがあれば利用するのに…と高速バスを利用する度に思ってしまいます。椅子が新幹線のグリーン車並みにかなり心地良くても、130度リクライニングがあっても、やはり横になって眠る快感とはまた違います。
安達太良PAと佐野PA、2度のトイレ休憩を挟み目的地に近づいた時に…
「ガバシャッ!」
携帯電話カメラ特有の、アナログフィルム一眼レフカメラに似せたデジタル音が聞こえた。視線を起こしてみると、前の席の乗客が携帯電話を構えて窓の外を撮影したらしい体勢になっていた。
何を撮ったんだろう…と窓の外を見ると…そこには東京スカイツリーが! なんとこのバスから見えるとは…
数年前まで東京に住んでいて、その後も何度も東京にバスで来ていたF.O.X.ですがいつも利用するのはカーテンが閉まっている夜行バスで、朝〜昼のバスで来るのは初めて。だから気付かなかったのだろう。
だからと言って、私も撮影するというような「おのぼりさん」みたいな事はしたくない。俺は同じ電波塔でも東京タワーには何度も昇った事があるんだぞ! 東京タワーに歩いて行ける距離に住んでいたんだぞ! 俺は東京タワー派だ! そんな変なプライドが出てきて、再び眼を閉じて寝たふりをした。
「ガバシャッ!」「ジュクチュイーウ!」
前の席の人のが再び撮ったらしいシャッターに続いて、後ろの方からも携帯カメラ音が聞こえた。どうも他の人もスカイツリーに気付いて撮影したらしい。
こんな話がある。
仙台は若者が上京する前のステップである、と。
東北6県の都会志向を持った若者が、いきなり東京での一人暮らしは怖いから…とステップに使うのが仙台である。名古屋や福岡などと並んで有名な地方都市である仙台にまずは住み、仙台に慣れたら次は東京へ…と。
しかし一体どれだけの人が「ただのステップ」として利用しているのだろう。
大半の人は仙台の住みやすさに満足するだろう。そして仙台でお金を貯めたらその仕事を捨て上京、という計画を実行した人はどれだけ居るのだろうか。しかし、である。
恐らく実際はは数える程しか居ないのだろうけれども、なにか裏付けが無くても本当にそういった事が多そうな雰囲気があるので、話を聞いた時は「それありそう」と笑ってしまった。
そんな事を思い出している間にバスは東京駅八重洲口前に到着した。
ここからはJRに乗り換えて目黒に。
白金台内観研修所のオフィシャルHPのアクセスには品川からのルートが書いてあるのだが、品川からバスを使わず歩いて行くのであれば目黒の方が近い。
私は都バスも苦手なので出来るだけ歩ける所は歩こうとしたので、品川を通り越して目黒まで行き、そこで降りました。
予め印刷してきたグーグルマップを頼りに歩く事約15分、迷わずに辿り着けた内観研修所。
ついに到着した…
時間を確認すると13時30分頃だった。
13時から15時の間に来て下さいという事だったので、早くも無く遅くも無く、良い時間帯だと感じた。
内観研修所の外観(笑)は、一応HPの写真では見ていたがそれよりももっとお寺っぽかった。お寺、寺院…そんな宗教色を匂わせる門構えだった。
ここまで来て引き返すという選択肢があるわけも無く、私は勇んで入ろうとした。
そこにインターホンを見つけた。まずはインターホンでピンポンだろう、勇んで入らなくて良かった(笑)
「集中内観を予約していた●●です」
「入ってきてください」
そして中に入ると、袖無しのちゃんちゃんこを来た初老の男性が出て来た。
この内観研修所の所長、本山陽一先生である。
挨拶もそこそこに、所長室へと案内された。
液晶モニターではなくCRTディスプレイのパソコンがあったのが印象的だった。
そこに机を挟んで所長と向い合せに座り、やはり挨拶もそこそこにまず言われたのが
「6万円頂きます」
出会ってすぐお金を請求されるのは正直な所気持ちの良いものでは無い。怪しさ全開だ。
しかし、受けると決めやって来たのであるからここで食いついたり拒否したりという選択肢は無い。料金が分かっていたので予め6万円だけ別に用意しておけば良かったのだろうが、「今回のお金」と母から貰った研修費用と交通費を財布に一緒に入れておいたので、もう使い始めて7年にもなるくたびれたグッチの財布から6万円を取りだし渡した。
それをちゃんと確認もせず、二つ折りにしてちゃんちゃんこのポケットに突っ込む本山先生。
ちなみに、F.O.X.が受けた2011年始めの段階では研修費用は6万円だった。今では7万円に値上げされている。
吉本伊信さんの本を読むと、内観は昔は受刑者に無料で行っていて、その後内観道場を開いてからは3万円になったという事だ。時代が時代なので、当時の3万円は今でいう6万円でちょうど良い感じであろう。他の内観体験者のHPでは5万ちょっとと書いてあったが、それよりは高い。
本山先生との面談が始まった。
どんな目的でここに来たのか、家族構成、うつ病に至った経緯など。
ちゃんちゃんこの中にしむらけんの「変なおじさん」が着てるような服、実にお家休みモードの恰好だった。
印象的だったのは服装だけではなく、言葉もあった。「自分は変わろうと思わなかったのか」「郷に入れば郷に従え」と言われた。
こんな言葉だけならば誰だって言う事が出来るし、小学生でも知っていることわざや一般論を並べられた所でただの「説教厨」である。そうじゃなかった時の責任は取らない、自己責任でという上から目線のアドバイスで自分の発言に責任を持たず、ああ言ったりこう言ったりしている間に矛盾した事を言ったり、それは違うとたまに反論すればこういう場合は…と例外を並べて来る、どこにでも居る嫌な奴。
しかし自分の胸に突き刺さった。
これまで変わろうなど思ってもいなかったし、自分のスタイルは正しいと思っていたからだ。普通は、上司には媚びへつらって何でもいう事聞いて気に入られるようにゴマ擦って生きて行け、なんて誰も言わない。それを言ったのだから。
多分、それも言うだけならタダだと思って無責任に言った言葉ならば反発していた事でしょう。
しかし、相手はこういう私みたいなダメ人間を何百何千と観て来た百戦錬磨の男。そして私のほうも一言一言を素直に聞こうという精神状態になっていたのでしょう。
いつもならば憤りしか出ないはずの説教が、半信半疑まで、半分は信じられるという良い意味で、そこまで消化出来たのである。
面談が終わり本山先生の奥さんに、自分がこれから一週間過ごす部屋に案内される。
内観中も食事もずっと屏風の中に居る事、座ってると腰が痛くなるので変な形の座布団を尻に敷くと良い事、部屋の暖房機器の説明、トイレや喫煙の時に他の内観者とすれ違っても挨拶を交わしてはならない等の注意事項。
そう、部屋は床暖房でかなり新しめだった。寺みたいな外観からは想像出来ない、その辺の民宿などよりも設備は新しかった。結構儲かっているのだろうか。
そして、話だと他の内観者が1名いるみたいだった。その方もF.O.X.と同じく喫煙者なので、タバコを喫煙所で吸う時には時間が重ならないように、すれ違っても相手を空気として扱うように、という事だった。
貴重品はこのロッカーに入れて下さいと言われ、言われた通りに財布や携帯電話の入った小さなバッグを入れたら鍵を閉められた。
予め「携帯など使用不可なので預かります」と言わないのは、そう言うとわざと預けない人も居るから「貴重品ロッカー」という形にしてやんわりと取り上げているのだろう。どんな良い形や文言をとっても、裏を見抜かれてしまっては逆効果である。逆効果は言い過ぎかな、気を使ってるんだなと思ってしまう。
「お風呂は入りますか」と聞かれた。予めお風呂に入ってくる人も居るらしい。そしてここでは夜ではなく昼過ぎにお風呂に入るらしい。勿論入りますと答えた。
内観はおもむろに始まった。
奥さんに「屏風の中に座って下さい」と言われ、「よろしくお願いします」と手をついて頭を下げた。
いきなりで、これ自分も下げた方が良いのかと同じようにした。
「お母さんについて、幼稚園の時に、お世話になったこと、して返したこと、迷惑をかけたことの3つについて調べて下さい」
あまり内観の知識を入れて無かった私は質問した。
「して返したこと、というのは良い意味でですか、悪い意味でですか。」
良い意味では「お返し」、砕けた表現なら「してあげた」という文言を使うだろう。どうして「して返す」という表現を使うのか。して返すと言ったら復讐とか、悪い事をやられたから反抗したとか、そういった悪い意味も含むのでは無いかと思ったからだ。
「言葉の使い方ですね、良い意味でのほうです」
という答えだった。
まず、早いお風呂に入りながら最初の内観を行った。
後から所長に「3点」について報告しなければならないので、真面目に考えて受け答えを用意しておかなければならない。
本来であればその3点について調べた事を自分の心に響かせる事が大事なのだが、「報告ではこう言おう」という考えの方が強かった。
お風呂から上がり、屏風の中でその3点について内観を行って1時間くらい経つと、部屋の天井に付いているスピーカーから
「これから全員に研修の説明を行いますので、最初に面談をした部屋に集まって下さい」
と本山先生の声で放送が流れた。
自分を含め4人が集まった。男2人、女2人。
あまり顔を見ないようにしたが、男性は自分よりちょっと年上、女性は二人とも若いという印象を受けた。
皆どんな悩みを抱えて、どんな目的でここに来ているのだろう…
同じときに内観研修を受ける同士が居るのは心強かった。ここまで怪しい印象が強いのに、他にも受けている人が居るという事をこの目で見る事が出来たというのも安心に繋がった。
所長室で、本山先生の話が始まる。
内観の原理、進め方、大脳に効かせるという話、今回は両親から虐待を受けた人は居ないから皆母親に対する内観から始めるという話。ここで言った事はどこにも出ないから、旅の恥はかき捨てよではないが面接の時には本音で話す事という話。
そして、今まで母親が何回ご飯を作ってくれたのか皆に計算させた。
本当にとんでもない回数だ。
体調が悪い日も、嫌な事があって精神的に参っている日も、自分の趣味に時間を持ちたい時も、毎日毎日、何十年も自分の為にご飯を作ってくれた母。
それを数字にするととんでもない回数だった。
初日で、お風呂に入ってちょっと考えただけだというのに、もう既に母にして感謝の念で一杯だった。
部屋に戻る時、女性陣は2階に上がっていった。男性は1階、女性は2階と別れているらしい。
部屋に戻り、屏風の中で30分くらい内観をしていると本山先生が部屋に入ってきた。屏風を引いて開ける。
二人で「よろしくお願いします」と手をつき頭を下げる。
「この時間は何について調べたのか教えて下さい」
「え…あ…」
勝手がわからずまごついていると、「これについて…」と屏風内の「お世話になったこと、してお返ししたこと、迷惑をかけたこと」という張り紙を指さした。
あ、ああ、と私は理解した。
「この時間は、母に対して幼稚園の時を調べていました。お世話になった事は云々、してお返しした事は云々、迷惑をかけた事は云々」
言い終わると、本山先生は「次はいつを調べて貰えますか」と聞いてきた。
「エッ、自分で決めて良いのですか。」
「さっきあっちで言った…」と所長室のある方向を指さした。確かに、先ほどの合同説明の時に「幼稚園が終わったら次は小学校低学年、次は高学年…」という話をしていた。
それを思い出した私は「母に対して小学校低学年の時を調べます」。
「ありがとうございました」と再び手を付き頭を下げて屏風を閉じ、退室していった。
本山先生は、「次は誰々についていつの時代に調べて下さい」と指示する事もあるが(主に内観対象者が現在まで内観し終わった時)、年代的な続きを調べて欲しい時は「次はいつについて調べていただけますか」と質問し、こちらが答えるのを待つのである。
さて、次は母に対する小学校低学年の時にたいして内観(身調べ)をしていると、「失礼します」と奥さんの声がした。
「お食事です」と食事を持ってきて、顔を見せずかつこちらの顔を見ないように屏風の隙間から食事の盆を差し出された。そして食べ終わったら廊下に出しておくようにと。
勿論、言われた通りに屏風の中で食べた。食事の時はスピーカーからテープがかかるというのも、先ほどの合同説明の時に言われた通りだった。
朝は食パンをかじり、昼もバスの中で菓子パンをかじった程度なのでちゃんとした食事は嬉しかった。が、テープがかかるので至福の時では無い。気が抜けない。
今はプライバシーやら何やらなので録音は行っていないので古いテープだが、内観の本質ややり方は昔から殆ど変っていないので昔のテープでも十分参考になるという事だった。
面接者は内観創設者の吉本伊信さん、内観者は不登校に悩む中学3年生の女子中学生というテープ。
なるほど、内観の時は例えばこういう事を考えて、面接の時はこういうふうに答えれば良いのかととても参考になった。
これは勿論白金台内観研修所の話で、初日に限らずの話ですが、運ばれてくる食事は全部しょっぱめ濃い味。私はそういう味が好きなので良いのだが。また、食事と一緒に飲み物が2つ出て来る事もしばしば。例えばお茶と野菜ジュース缶とか。どこの場末の喫茶店だよ、という食事である。
まずくは無い、ただそんなにおいしいという訳でもない、おふくろの味。たまにはレトルトの味もある。
こうは言ったが正直、食事に文句は無い。食べられるだけ幸せなのだ。
食事を食べ、盆を廊下に出すと、隣(正確には隣の隣)の部屋にいるもう一人の男性内観者は既に盆を出していた。
テープが終わると早速母に対して小学校低学年時代の内観に入る。
まだまだ内観に慣れていないが、幼稚園時代の内観を一度体験したのと、テープの女の子の内観面接がとても参考になり、こうやればいいのかとコツをつかみ始めた。
21時前、本山先生が再び入ってきて面接。
お世話になったことはこれとこれ、してお返ししたことはこれ、迷惑をかけたことはこれとこれ。
お世話になった事や迷惑をかけた事は沢山あるのだが、お返しした事は本当に少ない。
こうやってお世話になったにも関わらずお返し出来ていないというのを思い知らせるというのも内観の狙いなのだ。
「次はいつについて調べていただけますか」
「次は母に対して小学校高学年の時を調べたいと思います」
「ありがとうございました。今日はもう終わりなので、音楽が鳴ったら布団を敷いて就寝して下さい。」
21時になるとスピーカーから音楽が鳴り出した。
就寝の時間の合図である。
布団を敷き、家から持ってきたシーツと枕カバー代わりのバスタオルを枕にかけ、就寝。
普段寝つきの悪いF.O.X.なので眠れるかどうか心配だったが、早起きと長距離の移動から始まり、研修では慣れない事ばかりをやったという一日の疲れも有り、5分と経たずに入眠したと思う。
こうして集中内観一日目は終わった。
(5)集中内観2〜6日目
朝5時になると音楽が流れ、起床。
「運動がてら」という廊下の拭き掃除をし(もう一人の男性内観者の担当は風呂掃除らしかった)、
そして内観→約1時間30分おきの面接を1日中繰り返し、
そして21時就寝。
内観の内容以外は変わらぬ生活である。
内観の内容はどんどん変わって行く。
母に対する、幼稚園→小学校低学年→高学年→中学生→高校生→専門学校時代→社会人最初の5年間→その後の5年間
そしてそれが終わったら父に対してそれらの時期、終わったら別居中の妻、それが終わったら「嘘と盗み」について。
幸いにも、この間に毎日何度か日記を付けていたので、その内容も合わせてどのような事を考えどのような事が起きていたのかを報告したい。
2日目 朝
終わって良くなったらこうしたい、あれをしたいという思いが強く、まだその時期(内観)に完全集中できていない。本当に自分は幸せな気持ちになって帰る事が出来るのだろうか?
まだまだ内観を半信半疑、かつ深い内観が出来ていないのだ。
朝食の時のテープは、エリート意識が強くかつ自殺願望のある人の話で共感出来た。
2日目 朝〜昼
長い…一度面談から30分〜40分で(今回の内観を)大体書き終わるのに(次の面接まで)1〜2時間は長い。考え直しても細かい事がチョコチョコ出て来るだけで、もっと(面接までの間隔は)短くても良いのでは? と思ってしまう。どうなんだろう?
寝てしまって、寝てる間に面接に来た…
以外と早かった。監視カメラでも有るんじゃないの? と思う。
自分の感覚では、面接までの間隔が長い。今までの数々の内観を通して決まった時間なのだろうが、やはり個人差はある。
昼食時のテープは吉本先生が講演会で笑いを交えながら面白可笑しく色々と語っているものだった。肝心のオチの部分や笑わせる部分が聴き取り辛くて面白くなかった。なのでテープを聴くのもそこそこに喫煙に行っている間に終わった。
2日目 昼
最初の面談が来る前に1時間ほど寝てしまった…こんな事で、しかもこんな事をしていて良くなるのだろうか?
午前中、面接前に居眠りしてしまった事をまだ悔やんでいる。
しかし、本気で取り組もうとしている自分の真面目な気持ちと、まだ内観に対する疑惑が見て取れる。
2日目 夜
長々と話せば良いの? わざわざ流すからそうなんだろうなぁ… 話が上手いのは得だなぁ…
後談:原稿用紙の読みでは心に響かない、との事。
夕食の時のテープは、面接時の報告が非常に長い男性のテープだった。まるで独演会。
私はそのような人が嫌いだ。要点を掴めていないから話がグダグダと長くなるという人が多く、誰だってそんな長い聞きたくないのに、社会の評価は何故か「話が上手い、コミュ力がある」。
私に言わせれば「話が下手だから長くなるのであって、コミュニケーション能力が不足しているから相手が長い話に飽きているのを感じ取れない」のである。
自称話上手という人を何人か知っているが、大概において長いだけで要点が掴み難く、「ペラペラ話せる=話が上手い」と勘違いしているだけである。実際は皆にウザがられているのに話続け、嫌われているのが何故か分からない。逆に好かれていると何故か勘違いしている。
そして、こっちが話す事に対して、話した内容では無く、自分が出て来た単語を知っているかどうかが話の論点になり何を伝えたかったのかを受け取ってくれない。例えば「私は●●という病気です」と言うとしよう。「自称」話のうまい人は「ああその病気知ってる、何々だよね」と自分が知っている事をアピールする。本当に話が上手い人というのは、「私が病気」という事を伝えたいのが話の筋だと理解して心配したり、大した事無いと励ましたりする。
本当にうまい人というのは、そういう会話のキャッチボールが出来る人である。
そう思っていた。
が、わざわざ長文をペラペラ話す人のテープを聞かせるという事は、こういう風に話しなさい、私からみたら意味のない事でもなんでも肉付けして相手が聞いているかどうか、分かるのかどうかという気持ちを考えずに自分が話したい事だけ、如何に自分が長く話せるのかをアピールしなさい、というふうに捉えた。というか曲解した。本当はそういう事じゃなく話している内容が大事なのだろうが。
それを次の面接で相談すると、日記の後談の通りの答えが返ってきた。
本当に安心した、自分の考えは間違っていなかったのだと。
今でも自信を持って「ペラペラ話し続ける事が出来る人は話が上手い」とは言えない、むしろ下手なのだと言えます。
これは共感する人が多く、少数の「自称話が上手い人」は自分を否定されたと思う人も居るのではないでしょうか。
3日目 朝
今日もグッスリ。今日を、今を頑張るぞー!
ねむいよねむいよねむいよ…
まだ火曜かと考えてしまう。(集中内観が)終わった時、自分はどうなっているのだろうか。?
いや、先ではなく今を頑張らねば…
2日目は「終わった後」を考えていたのに対して、とりあえず盲目的にでも集中内観を信じて今を頑張ろう、という精神状態になっている。
とにかく集中内観は辛かった。一日中過去の自分を調べて、如何に自分が卑しい人間であるのかを思い知らされるのである。一つの時代が終わったらまた次の時代と。
3日目 朝〜昼
うーん、また1時間寝てしまった。面接に間に合ったし良いか…w
お隣さんがタバコ欲しがってた。規則破って話しかけて…
少しあげようかと。お互い最後まで頑張ろう!
与える喜びは気持ちいい! 相手も喜んでくれた。
午前中、眠いんですよね…どうしても。
そして、トイレ行こうとしたらもう一人の内観者がタバコ吸ってて、話しかけられたんです。
「つかの事をお聞きしますが」
「はい」
びっくりしました。本当は話しちゃいけないんですもん。でもそれを分かってて話しかけてるのに、無視する訳にもいかなくて。
「タバコどのくらいありますか?」
「あと3箱くらい」
「これだけ厳しいとか、外出出来ないとは思わなくてあまり持ってこなかったんです…」
禁煙する気も無いのにタバコが無い辛さは、喫煙者にはよく分かります。
その場の会話はそこでは終わったのですが、部屋に戻ってからタバコちょっと分けてあげようと思い、一箱持って隣(正確には隣の隣)の部屋に行きました。
既に「面接」の時間パターンはある程度予想がついていて、この時間に誰かが来るのは予想外だったのでしょう、部屋に入るなりガサガサッと起きだす音が聞こえました。
そして屏風の隙間からタバコ一箱を差し出し「これ良かったら吸ってください」と。
相手は屏風をスッと開けました。
「えっ、いいんですか」
「どうぞどうぞ、内観とても辛くて、隣でも頑張ってる人が居るというのがとても心の支えになってますから」
本心だった。
「いや、じゃあ5本だけでいいですよ」
「それじゃあ最後までもたないでしょう」
等のやり取りがあった後、結局一箱全てあげました。
本当に感謝していた様子で、こちらまで嬉しくなりました。
外出して買ってくればいいやと思っていたら外出できなくてタバコが足りなくなり、途中で消しては何度も吸いなおす、いわゆる「シケモク」で我慢していたみたいです。
正直、私も買い忘れて最終日までタバコが持たない、足りない状況でした。1日1箱は吸いたいのに、残り6日で3箱。それでもなけなしのタバコを分け与え、二人でこの集中内観を最後まで頑張ろうと励ましあいました。
3日目 昼
(メモに)書かずにだって…何故?
ねむー午前からずっと面接前まで眠ってますわ…
エピソード(結果的にではなく、思いやっての事)
何故今日になって(メモに書かずにと言うのだろう) → やはり! 思った通り!
ただし、人生に正確は無い、自分で思う・考えるのが大事、間違っていたら直せば良いだけ。進むのが大事。
3日目の昼には、母と父に対しての内観が一通り終わりました。
そして、再度母に対しての幼稚園時代に戻ってまたやる、と。
その際、今までは「していただいたこと、してお返ししたこと、迷惑をかけた事」をノートにメモしていたのですがそれを書くなと。
その場ではとりあえず何も言わず承諾したのですが、自分では「書くのを読むのと心に刻んで言葉に出すのとでは違う。また今までは練習の意味も込めてメモ取ろうが何しようがOK、これからが本番。」だからなのではないかと考え、次の面接の時に聞いてみたんです。こういう事だからじゃないかと。
「答えを知りたがるタイプですね」と前置きされましたが、予想通りでした。最初は思い出すだけで苦労するので、メモを取ろうが話が例の3点からズレていようがおかまいなし。これから本番なので、という事でした。
そして、私の「してお返ししたこと」についても修正されました。結果的に恩返しになったものではなく、本当に父や母の為を思ってという前提でやったものに対してのみがここでの「してお返ししたこと」です、と。そうやって修正してくれる面接者が必要なのです。やはり最初から日常内観は無理なのです。
また、日記に書いてあるように正解は無い云々というのも聞かされました。
基本的に所長がは「よろしくおねがいします」「次はいつについて調べていただけますか」「ありがとうございました」と話すだけの聞き役なので、そこは意外だったのを覚えています。
3日目 夜
頭痛い、薬くれと言ったら「今日、明日が一番辛い時期だから」と言われた。
頭痛で、お言葉に甘えて少し横になった。小一時間ほど寝てしまった。
今日は寝てばっかりだったなあ…大丈夫かなあ…
でも心配する前に今日を頑張る、って言われたし今をやるしかない。
常に頭痛がするようになった。
2日間ぶっとおしで過去をたどり反省し続けていたら、頭が痛くもなる。
アスピリンみたいなのが欲しくて、面接の時に「もし頭痛薬みたいなものがあったら下さい」と頼んだら、日記の通り「今日明日が一番辛い時期だから」と。
心は前向き(にしろと自分に言い聞かせてる)だけど、体がついていかない…
本当に一番辛い時期でした。
夕食時のテープは「死と脳」についての講義。
カップラーメンを夜中に食べると死が近づくとか、あまり面白くない話でした。
4日目 朝
今日もグッスリ。昨日より眠くはない。
(水曜日なので)中間地点だ 、やっと。
今日も、今を頑張って過ごすぞー!
9:20
今日はもう疲れた…早く終わって欲しい。
今日が木曜か金曜だったら、あとちょっとと我慢できそうなんだけど…水曜で、あと3日かー…
でもやらないと…良くならないと…6万のモト取らないと…
今日を頑張らないと…ガマンガマン
9:50
本日2回目の面接終了。母に対しては午前中で終わってしまうが、次は父なのだろうか? マンネリ化も否めないのだが…でも、今をやるしか無いし。未来よりも。
真ん中モッコリ水曜日。仕事をしていても一番辛い曜日だ。
ここでも「今を頑張れ」と自分を励ましていた。
6万のモト取らないと、というのは研修費用の6万円はやはり少ない金額ではない。それだけのお金を、自分で出したのでは無く両親が出してくれたのだ。そのモトを取って帰りたい、とこれまでの内観から両親への感謝の気持ちがとても生まれていて感じるようになったのだ。
日記には書いていないが、この時点で本当は帰りたかった。集中内観は本当に辛かったです。
途中で止めたら残りのお金は返してくれると書いてあったし…ここで止めても…と何度思った事か。
その度に、家のペットが頭に浮かんできて「大丈夫! 大丈夫!」って励ましてくれたんです。ペットに感謝です。
4日目 昼
次のテーマは、嘘と盗み。新しいテーマだ!
自分の悪い所を見つめる事で、他人の事を許せるようになるらしい。
何にしても、新しいテーマは嬉しい。今を頑張るぞー!
2:30
午後の面接マダコネー
嘘と盗み、高校時代は無いんですよね…直前になったら聴いてみるか?
4:00
昨日に引き続きまた頭痛くなってきた…
どうなってんだよオレの体…こんな時に…チクショー!
前回の日記で「両親に対する内観のマンネリ化」と書いたが、新しいテーマが始まった。
朝食時に流れたテープでは「嘘と盗み」についてやっていた。
今までの「3点」では無く、そのタイトル通り「嘘をついた事、盗みをはたらいた事」を思い出すのだ。
高校時代は本当に嘘も盗みも無かったと思ったので、中学生時代が終わった後にこう書いた。高校時代は万引きなんか卒業したので…傘一本盗んだ事も無い。自転車の話題で切り抜けた気がする。
ここでも「今を頑張る」と言ってますね、前向きですね自分(笑)
そして、またも頭痛が。
前日に言われた通り、火曜・水曜が本当に一番辛い時期みたいです。
本山先生の目を盗んでもう一人の内観者とちょくちょく喫煙所で会話を交わすようになりました。
彼の名前を仮に海老蔵さんとしましょう。小林麻央の旦那の海老蔵にヒゲを生やした感じの人です。
タバコがどうしても足りないので、海老蔵さんと共同戦線を張って最終日までやりくりする事にしました。一度火を消すとタバコがもったいないため吸う時は一緒に吸って、ボールペンのキャップにて火を消す、吸うのは一回に2・3口、そして体に良い悪い言ってられないのでニコチンを出来るだけ接種するため副流煙も一緒に吸う方法を教わり実践、等々。
内観で本当に辛い時期でしたが、隣で海老蔵さんも一緒に頑張っていると思うと一人じゃないと少しは気が楽になり、よし頑張ろうという気になってくるのです。
本当は違反なのですがそうやって会話してました。
昼のお風呂は、まず最初の人が「入浴カード」を本山先生から貰って入って、
その入浴カードを次の人に屏風の隙間から渡して入浴の順番という事が分かる、というシステムです。
最後の人は「入浴カード」を洗面所に置いておけばOK。
日によって順番が入れ替わる事は無いのですが、今回は海老蔵さんが「いつも俺一番風呂なので、たまにはどうぞ」と一番風呂を譲ってくれました。
海老蔵さんはお風呂をキレイに使うタイプだったので一番だろうが二番だろうが全然気にならなかったのですが、これも付き合いと思って一番風呂を頂く事に。
入浴後、海老蔵さんが「俺からカードを所長に返したら怪しいから、カード返しておいて貰えますか」と。いやいや、カードは置いておくだけでいいんですよと。最後、入浴カードをどうするかというのは他の人には説明行かないらしいです。
4日目 夜
3回目(午後)の面接の時、「〜と思います」「です」の違いを注意されました。今後注意しますが、ちゃんとできるかなあ…
あ〜寝た〜
3回目の前も4回目の前も横になって寝たもんねー
つーか高校時代の嘘と盗み、難しすぎ…
もうすぐ中日も終わる。ヤッター!
残すは木・金だ! あとチョット!
今日も終わったー! 解放感が心身全てを駆け巡る。
午後に寝たし、今日はすぐ寝られるだろうか…? でも寝るしかない。
「嘘と盗み」について調べていてその面接で、「と思います」「です」の違いを指摘されました。確かに、他人に言う時は柔らかく「思います」で良いのですが、この面接の場合は面接者(本山先生)に報告するのではなく自分自身に言い聞かせるための面接なので、「です」と言い切らないと効果が薄いのだ。
ただ、意識して「思います」の文言を使用していた訳では無いので、その辺を今後も注意して使わないように意識しつつ内観の結果を報告できるのかという不安が…
そして、3日目も4日目も俺寝すぎ! 「体がついていかない」というのを言い訳じゃなく本気で体感した時でした。頭痛は酷いし、その対策で横になると寝てしまう。しかしやる気が無いのではなく、やる気満々。本当にこの内観にて救われたくて、目の前の事に全力で取り組んでいました。
本当に途中で止めて帰ろうかと何度も思っていたくらいでしたので、1日が終わって21時の就寝時間の音楽が流れた時の解放感と言ったらありません。
5日目 朝
今日もグッスリ。連日連夜グッスリ。
やはり疲れているのだろうか。良い事だ。
今日は木曜、木金土と終わりが見えてきた。
残り、どんなお題を出されるかわからんけど今を頑張って行くぞー!
9:50
2回目の面接終わりー!
1〜2回目の間に結構寝てしまった…良かねえよな、勿論。今、今、今の瞬間を頑張っていくしかない。
つーかマジで考え終わったあと、暇なんですけど…
心に何度も染み込ませるの? 内観が足りないの? どっちにせよ良い結果にはならないんだろうなあ…って心配するより、今、今!
10:45
1回、寺みたいな所で精神修行をやってみたいと思っていた。
今、それが実現している。あー、そろそろ面接来るぞ。一旦ストップ。
3回目の面接、これにて「嘘と盗み」終了! 次は妻についてキター!
(内観する範囲がこれまで3年刻みだったのが)1年ごとって短くね?
不眠症でなかなか寝付けない自分も、ここに来てから流石に毎日最高に頭を働かせて疲れてるのか毎日おやすみ5秒。
そして内観をある程度して、このような事を面接で言おう、まで決めると急に疲れがドッと来て横になって少し休憩、そのうち寝てしまう。本当は「横になると寝てしまうので禁止、そのような方にはお引き取り願う」と吉本さんの本に書いてあったのですが…その時は本当に一杯一杯だったんですね。
内観が足りないとかそういうのではなく、本当にギリギリの所まで真面目に取り組んでいた結果なのかなと今となっては思います。
そして今回も出て来た「今を頑張る」。集中内観を乗り切る一つのテーマになっています(笑)
残りの期間を乗り切るための大事なシケモク、
いつも通りに喫煙所のバケツの隣に置いておいたのですが…
本山先生の奥さんに捨てられてしまった!
「やられた〜」と海老蔵さんと一緒に嘆いてました。
まだ一回は吸えた筈なのに…ついにタバコの残りは一本。これで二人は今日と明日を乗り切るハメに。
5日目 昼
抽象的な表現を使うなと言っておきながらすぐ使ってるじゃないか!
はあ〜何かいちいち口出されるの辛いなぁ…
今回は口出しされなきゃ良いけど…
4:50 今回はOKだったー! 今の面接はあと2回…
27〜ほぼ一緒なんだよなあ…まいっか。
ちょっとずつ変えて言おう。 ←ズリー
面接時の報告が、具体的な内容ではなく抽象的な部分がある、と怒られました。
でも、その後に「例えば〜」と始まって抽象的な例を上げた本山先生に憤りを感じた!
内観の内容や面接時の観点がズレてる時は直して貰って結構なのですが、それ以外にイラッとする一言を口出しされるようになってきました。
「内観面接時に口を挟む事は殆どありません」とお前のHPに書いてあるじゃないか! とも言いたくなりますが、段々と口を挟むようになります。
しかし、そのイラッとする一言というは本質を見抜いた物なのでキツイです。他の言い方をすれば心に突き刺さります。
最初は何も言わず、内観が佳境に入ってきたら相手の事が分かってくるので、それを踏まえつつ「人間として悪い所」に口を出す。これも作戦というか内観面接者のやり方なのでしょう。
人間は100人居たら100人違います。それを大きなタイプ別に分けるのだって相手を把握しなければならないので時間がかかります。短絡的にAと言ったからBとか、ちょっと見て相手の悪い所を見つけて批判するのは簡単で、無責任にこうしたらいいのではああしたら解決するのではないかとアドバイスをしたつもりになるのは簡単ですが、本質を見抜き根本にある問題だけを指摘するのは難しい事です。
「俺の事や状況も知らず何言ってんだコイツ、説教厨かアドバイス厨か」と一蹴できるようなものではなく、本当に本質をに抜いた指摘なので心の中では「本当にその通りだよ、クソッ」と感じます。
これは後から教えられた事ですが、自分がそうだと素直に認める事でそれを自分で治して行く事が出来る、と。
だから、時間をかけてその人がどういう人であるのかを理解して、その根本にある問題点を指摘し、その解決方法までは言わないのです。
今考えると素晴らしいですよね。
5日目 夜
テープ聴き取りづれー!
テープを聴いた後、両親の愛に泣いてしまった…。
こんなに泣いたのは何年ぶりだろう。
7:35 最後の面接まであと1h。長いよー!
月曜でも辛かったのによくここまで頑張った。偉いぞオレ!
夕食時ですが、何のテープだったのかは忘れました。テープとは関連が無かったように思いますが、
その後に両親がどれだけ自分を愛してくれてるのかを急に感じ、声をあげて泣いてしまいました。
親の愛にほんの一部分でも、嗚咽をあげて泣く位まで気付いた自分はこの時点で集中内観に来たかいがあると言える、ターニングポイントとなる瞬間だったのではないでしょうか。
いつも一日の最後の面接は8:40位なので、7:35の時点でこう書いてます。
本当に辛くて、途中で辞めて帰る事も本気で考えていたのに本当に良く頑張ったと思います。
6日目 朝
今日もグッスリ…何回か起きたけど、すぐ寝られた。明日にはシャバに戻れる。
今を、今を頑張って我慢? 頑張るぞー!
頑固という事を認める ←上から見るとそこに居ないので治そうとする
謙虚になれ(内観をする事によって)
次はやっぱり母かー。明日の朝までまた母(3回目)。
さすがに同じ事しか言えないと思うけど…。
不眠症の自分がすぐに眠りについた事、そして「今を頑張る」という恒例の2点から始まった金曜日の日記。
外の世界を「シャバ」と呼んでいるあたりが集中内観の非日常性や辛さを物語っていますね(笑)
面接時に本山先生から頂いた言葉も書いています。
「自分は頑固だという事を認め、それを客観的に上から見る事で自分自身の心が治そうとする」
「内観をする事によって謙虚になる事ができる、そうなれ」
の2点です。確かに自分はその通りです。
次の内観のお題は「母に対して」でした。最初、そして父が終わってからの次に続いて3度目ということで飽き飽き、マンネリ感が出ていたお題です。
誤解を与えないように言っておくと、母に対する内観がそれだけ重要なのは分かっていました。 深い内観に辿り着く為に何度も繰り返すという事も。
何が嫌だったかというと、身調べの中で新しい事を思い出して面接で言わないとまた怒られるのでは無いか、怒られないにしてもしっかりと内観出来ていないのではないかと思われるが嫌だったのです。
何度も母に対しての見調べをさせるからには、「同じ事を何度も思え」というのではなく「もっと深く内観しましょう」という事だというのは分かっていました。
内観についてあまり予備知識は入れて来ませんでしたが、「内観が深くなると、その時来ていた服の色まで思い出せる」というのは読んでいたので、その地点まで辿り着かせようとしているのは明白でした。
しかし、自分にはそこまで辿り着く自信は無かったのです。
6日目 昼
2:05 午後一の面接までなげーな、あと30分かー
昼食のテープ、小1でも内観できるのかスゲーな。
4:15 面接まであと30分…なげーよ
あと1日なのになげーよ、でもマジあと1日だよ。
よく頑張った俺。自分で自分を褒めてあげたい。
朝の不安通り、深い内観には辿り着けずに今まで(2回もの母に対する内観)の焼き直しと同じような事ばかりを思い出すだけで、残りの時間が暇になってしまっています。
しかし5日目までのように寝るような事も無く、あと一日という事でなんとか深い内観に辿り着こうと必死で見調べをし、更にしかし集中力が途切れ…の繰り返し。
日記の通り、昼食時のテープは小学校1年生で集中内観を受けた方の記録テープでした。本当に精神的に出来た人間になっていく事でしょう。
海老蔵さんと、この集中内観が終わったらご飯でも一緒に行こうという約束をしました。
そして気分転換に部屋のドアを開けて土足で外に出てみると…海老蔵さんが!
「ビックリした〜所長に見つかったと思った!」
と肝を冷やしていました。通りすがりの人にタバコクレクレしようとしてたけど、一時間くらい誰も通らなくて、そこに私が来たという話でした。
この内観研修所は通りから少し奥まった所にあり、中に居ると車の音さえ聞こえない位です。
誰も通らなくても無理はありません…
6日目 夜
8:00 あと1hで今日も終わる…
裏情報では、明日の面接は2回らしい。
あと何やんのかなー。何でもとりあえず今日はもう終わる!
早く終われ〜! 待ち時間は相変わらずキツイなあ…
海老蔵さんが、あと何回面接が有るのか上手く聞き出したようです。
最終日の面接は2回。
私の内観はその時「母に対して」なのですが、それも最終日の1回目で終わってしまうので「残り1回は何をやるのか」という思いでこう書いています。
(6)集中内観7日目(最終日)
7日目 朝
ついに最終日…やっとここまで来た。早く終わってクレー!
面接があと2回でしょ? 1回は母への現在で、もう1回は? 変なのじゃなきゃ良いけど…w
あと、2回の面接の後は何やるんだろう? 13時だよね、終了確か…。
最終日だから、時間の進みがゆっくりでも少し許せるなぁ。でも早く終わって欲しいけどね。
7:25 1回目の面接マダコネー! 2回目もズレこむならマジ精神的にキツイんですけど…
1回ペン投げたし、屏風に少しキズ付けちまったよwww 遅せーのが悪いんだからな! いつ来るんだよ!
ラストおおおおおお! 可愛がってくれた事(幼少期)
あと30分…マジメにやってみるカニ。
ギョエー! 5分もせず復讐終わってしまったー!
ついに最終日。
朝に海老蔵さんと一口ずつタバコを吸って、これにてタバコは全部無くなり終了。
終了するのは本当は10時〜11時なのですが、13時と勘違いしていました。
ラストなのでゆっくりでも良いと書いておいて、7時には来るはずの面接が来ないとイラついてペンを投げる始末。
感情の変化や考えの変化がある、これが人間です。
「さっき言った事と違う」と言ってしまうような、人を機械か何かだと思っているのか「心」を全然分かっていない人間も居ますが、これが人間です。
ラストのお題は「幼少期に両親に可愛がってもらった事」。
本山先生曰く、これが今後の自分の性格になるとの事でした。
当時は、やはり寝てしまう事や内観が一区切りつくと残りの時間を持て余していた事から「内観を真面目にやっていない」と感じていたのでしょうが、今考えてみるとそうではありませんでした。
ただ自分の身調べのペースと面接のペースがこれまで培ってきた内観30年もの歴史と少し合わなかっただけで、基本的には真面目に内観が出来ていたのだと思います。
この時点で、頭の周りをホワホワと暖かいものが包み込んでいるような感じがありました。
本当にとても良い気分でした。
これが内観が効いている事なのですか、と面接時に本山先生先生に聞きましたが、答えは残念ながら忘れてしまいました。
最初にも言われたし、内観中も言われた。
「世間は変わらないので、自分が変わっていく事が必要。
間違っていたら直せば良いだけ。謙虚に、そして自分を頑固だと認識して。 」
最後の面接が終わった後に書いた日記です。集中内観中、最後の日記です。
「世間は変わらない、自分が変わるしかない」というのは亡くなった2人目の精神科の先生にも言われた言葉で、良く覚えています。
当時はどういう事なのか分かっていませんでした。というより、それが出来れば苦労は無いと思っていました。
まさかここで集中内観をする事により、自分が変わって行くことが出来るなんて…
最後の面接の時、本山先生は仰られました。
「今、新しい芽が出ています。それを大事にしましょう。今までの大きな木というのは根強く、無くなりません。それにすがりたい時もあるでしょうが、新しい芽を育てるようにしましょう。」
自分でも、自分の心に変化が出て来たのは感じていました。
それを「新しい芽」という表現をされました。
今までの自分が変わったのでは無く、新しい自分が出来たのだと。
そして前の自分は無くなったのではなく、まだ残っている、しかし前の自分にすがるのはダメだと。
新しい自分を大切にと。
こうも言われました。
「この部屋に1週間籠っていただけで、こんなにもあなたは変われました。誰とも関わらずに自分だけで。誰に頼らずとも自分だけで世界はこんなにも変わるものです。」
確かにその通りです。
やった事と言えば、部屋に閉じこもって昔を思い出してそれを報告しただけ。
なのにこれだけ感謝の気持ちに溢れ、とても良い気持ちになれたのです。
最後に、プレゼントですと内観に関する本をどっさり貰いました。
そして奥さんが来て、貴重品ロッカーの鍵を開け、財布や携帯の入ったバッグと1週間ぶりのご対面。
元々、折り畳み傘も入らなかったぎゅうぎゅうのバッグに貰った本を詰め込み、退室…
出て行く時に、本山先生と奥さんに正座をして「ありがとうございました」とお礼を言いました。心からのお礼でした。
奥さんには「頭を上げて下さいよ」と言われましたが、本当に頭を下げたい気分だったのです。
そして玄関から出て行き、1週間による集中内観は終了しました。
(7)集中内観からの帰り
一緒にご飯を食べるため、海老蔵さんと待ち合わせをしていました。
通りにで待っていると思いきや居ないので、渡されたメモを出してその番号に電話をしてみました。
私が思った道とは逆方向に海老蔵さんは行ってしまったようです。
道を戻ると、キャリーバッグにタバコのカートンを2つ持った海老蔵さんが居ました。
一つは海老蔵さんがいつも吸っているメーカーのものだと思います。
そして「これ、お礼」とタバコを1カートン、僕が吸っていたマイルドセブン・エクストラライトをくれました。
僕があげたのは1箱とちょっとだ、受け取れない、と言うと
「あの中での1箱は1カートンにも2カートンにも相当するから、是非受け取って欲しい」と。
悪い気がしながらも受け取り、一緒に路上で一服。
久々にタバコ一本をまるまる吸える喜びを二人で噛み締め、目黒駅の方に向かった僕ら二人。
「この中に自分たちより不幸な人がどれだけ居るんだろうね、自分たちは幸せだよね」
という言葉が印象的でした。
海老蔵さんは、この内観にはアルコール依存症を治す目的で来た事は研修所の中の雑談で知ってしましたが、アメリカ留学中に刑務所に入れられた事、その中でタバコを効率的に吸うために今回の内観中に僕も教わった副流煙も一緒に吸う方法等を学んだ事も教えてくれました。
目黒の駅ビル「アトレ」に入ると、どこもまだ閉まっていました。開店まであと10分程度だったので、11:00まで待つと開店。しかしどこも「禁煙」か「酒が無い」でした。
私は久々にタバコを一杯吸いたいし、海老蔵さんは酒を飲みたいという事で、その要求を満たす店は一軒も無く駅ビルを後にしました。
ファミレスならいいんじゃないかと相談し、そしてちょっと歩くと「ジョナサン」があったので早速入りました。食える、飲める、タバコ吸える、安い。ファミレス最強です。
話題はやはり内観が中心です。
私にとって内観はかなり自分を変えたと言う話、海老蔵さんは全く変わらなかったしタメにならなかったという話、本山先生の悪口等。
授業が終わった後の学生気分でした。
「日曜から土曜まで、しかも年中無休で年末年始もやってるのは凄い」
「でも大した事してない」
「テープでの内観面接者(吉本さん)は横から目線だけど、あそこの所長は上から目線のクソ親父」
など。
内観で何を話したか暴露しあったり、お互いの環境の事や、海老蔵さんが実はファザコンの事など。
海老蔵さんはあまり真面目に内観をしてないようでした。
内観時間中も持ってきた本を読んでいたり、面接も面白可笑しく笑わそうと話を持っていこうとしたり。
それで本山先生に話の途中で屏風をスッと閉められて強制終了とか。
タバコが無かったので、吸い終わったカスを集めて新たに紙巻タバコを作ってたり。
勿論、だからと言って「真面目にやったほうが良かったよ」とかは言いませんでした。
他にも食事がしょっぱくてあまり食べなかったという話や、父親の話。
本当に父親を尊敬してるらしく、今は無き父の事を話す海老蔵さんはとても誇らしげで楽しそうでした。
僅かな時間に、内観の時に吸いたくても無くて吸えなかったタバコを20本一気に吸いました。
1週間のタガが外れ、本当に楽しい時間でした。
昼前にジョナサンに入って、帰りのバスに乗る直前までずっと話し込んでました。
そして16:00東京駅八重洲口発のツアーバスにて帰還。
帰りは、集中内観で最後に貰った本の中の一冊「日常内観」を読みながら帰りました。
これまでならば普通に乗っているバスにでさえ感謝して、運転手さんに「無事届けてくれて本当にありがとうございます」と感謝の気持ちで一杯でした。
そして、両親にどれだけ愛されているか、どれだけ自分が何もしてあげられなかったのか本当に思い知らされたので、家に帰ってすぐ両親に
「これまで自分が如何に頑固で謙虚では無かったのか分かりました。ごめんなさい。これからもよろしくお願いします。」
と手をついて頭を下げました。
自分でやった行動とは言え、なかなか出来る事では無いと思います。
(8)その後の経過
うつ病は良くなり、法定量限界だった抗鬱剤も徐々に減薬。
まだまだ嫌々ですが、外にも出るようになりました。
そして集中内観から帰ってすぐに本格的な社会復帰を考え、これまで4年半も引き籠っていた身体を動くようにする為にまず、朝起きて電車に乗っての通勤練習をしスポーツジムに通う事にしました。
2ヶ月程の通勤練習とジム通い、その後震災に見舞われ宮城県住まいの私は電車が1ヶ月以上止まったり、親戚や(あまり親しくない)友人が亡くなったり、叔父叔母は未だに仮設住宅に住んでたりの酷い状況になりました。
それにもめげずアルバイトを始めました。社会復帰への第一歩。
働きながら資格勉強もして、複数の資格を取ったり。
海老蔵さんとは今でも良い友達で、電話で話したり、東京へ行く時は必ず会って飲むようにしています。
日常内観も、集中内観が終わった後は通勤練習中に毎日のようにしていましたが、震災後はあまりしていません。しかし、内観の事は常に忘れていません。
自分に自信が出てきて、さらに自分の身の丈や考えを客観的に見られるようになり、そして主観では無く客観的に人を見られるようになりました。
河合隼雄の言葉ではありませんが、まさに「人を可愛そう(卑下しての意味)だと思って見られる」ようにもなりました。
死にたいと思う事は全く無くなり、家族の為に頑張ろうと思う気持ちが凄く出てきました。
人に好かれたい、嫌われたくないという気持ちからビクビク生きて来たのですが、内観後は「自分は自分なんだから、ありのままに。後はどうなろうが知らない」と自分に自信を持って生きてきています。
4年半のうつ病との闘病生活、そして引き籠りから脱出したのです。
(9)内観は万能か?
内観の話をすると良く聞かれるのが、
「自分にも効果があるだろうか」
「逆効果ではないだろうか」
「そんなに効果があるのだろうか」
の3点です。
最初の2つは内観がどんなものかを知っている人、最後の1つは内観がどんなものかを知らない人から良く聞かれます。
どれに対しても「人それぞれである」という答えしかできません。
自分には効果があっても、中には海老蔵さんみたいに結局何もならなかった人も居ます。
(しかし自分では効果が無いと言っておきながら、私から見れば僅かに効果があったように見えます。)
F.O.X.は内観体験者であって、内観の面接者でも内観を勧められる精神科医でもありません。
いち体験者として何かを言う事しか出来ません、無責任な判断を言って「後は自己責任でどうぞ」等とは言いたくありません。
いち体験者として言える事は、もし集中内観を受けようとする人が居るならば「盲目的にでも信じて、自分なりに一生懸命やるならば、是非やってみたほうが良いですよ」という事です。
少なくても自分には前述しただけの効果がありました。
貰った本を読むと、「内観を受けたら家出した息子が帰ってきた」「内観をしたら会社の業績が上がった」と良い事尽くめで、勿論怪しいです。
が、頭ごなしにそれを否定はしません。
なぜなら自分は内観に来た目的に対して効果があったのですから、その内観でそういう人が居たのなら嘘では無く実際にそうなのでしょう。
結論「集中内観を自分の意思で受けてみたい人」にしかお勧め出来ないといった感じでしょうか。
勉強でもなんでもそうですが、「やらされる」ような感じでは効果が無いと思います。
ちなみにこのページは「集中内観体験記」という、
私が実際に集中内観を体験しての事実や素直な本音を載せたまでの事で、
内観を肯定するものでも否定するものでも、
集中内観を推奨するものでも行くなと言っている訳でもございません。
また、いち体験者として何か聞きたい事があれば、答えられる範囲でメールにて受け付けも致します。
これにて集中内観体験記を終了したいと思います。
長々と付き合って頂いて、ありがとうございました。
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